健顔の歴史



肌というナマの生き物を相手に、
実践の中で生まれ、効果先行で進化をとげてきた健顔。

開発者の米澤 房昭が、このメソッドに関わり始めたのは、1973年頃のことでした。

はじめは、汚れた肌にメイクをしてもキレイにのらない、
という発想からのスタートでした。

メイクからの気づき

当時、米澤はアメリカからの輸入もののメイク用品を販売していました。ファンデーションは20色以上、口紅だけでも50色近くある、当時ではまだ珍しい本格的なプロ仕様のメイク用品でした。

そのメーカーから、ある時、米澤たち販売者の研修の為に、はるばる海を越えて、メイクアップアーティストが派遣されて来ました。そのアメリカ人女性は、60代の方なのに30代に見えたと言います。


全くもってナチュラルに見える睫毛も、実は”つけ睫毛3段重ね”で、びっくり仰天したとか…。

例えば、当時の日本女性は頬紅を丸くつけるのが主流でしたが、そのメイクアップアーティストから、頬紅ひとつで顔に立体感が出たり、顔が締まって見えたり、急に目がイキイキとしたりすることを学びました。

こうして培ったメイクアップの視点が、米澤がのちに、形が顔に及ぼす影響や、肌を顔の一部として三次元でとらえることの重要性に気づいていくきっかけになります。

そうしてメイクの効果であったはずのこれらの成果を、肌の手入れで実現させる術を
自身も知らぬうちに生み出していく事になるのです。

健顔のはじまり

けれど、そんな優れたプロ用メイク用品であっても、顧客の肌にお試しで塗ると、うまくのらないことがありました。そこで、米澤は、まずはクレンジングクリームでお肌のガサガサやザラザラをとって、なめらかにしてあげたらメイクがもっとキレイにのるようになると考え、顧客にメイク前のクレンジングをサービスするようになりました。

最初は、椅子に座った顧客の正面に米澤が座り、親指だけを当ててクレンジングしていたそうです。米澤は生まれつき親指だけ ふくふくと大きい指をしているのですが、顧客に「先生はマッサージしているから、そんなに親指が大きくなったんですね」と褒められて、内心フフフと にんまりしていた…のは、ここだけのナイショです。

人生、何が起こるか分からないものですね。実はこのメイクの為のクレンジングが、健顔の始まりの一歩だったのです。そして、米澤自身も、当初は肌の汚れをとる目的で行っていたクレンジング・マッサージでした。

現場で徐々に明らかになっていく健顔の効果

顧客にも肌がすべすべになる、メイクがキレイにのる、と喜ばれました。当時は、まだエステなんていうものが一般的でなく、お顔のマッサージじたいが珍しい時代。しかも若い男性(※その当時は若かったんです)が、お顔のマッサージをするというギャップも効いちゃったのでしょうか…徐々に評判を呼ぶようになります。


施術を受けた顧客にメイクをすると、たくさん保湿しなくても肌がしっとりし、メイクがピタッとのるのです。

くすみも取れて、肌トーンがアップし、ファンデーションの色を明るく変える事もよくありました。目の周りについた色がとれると、人相まで違って見えます。

単純に汚れや色がないだけで、こんなに見え方が変わるのかと、そして肌には こんなにもたくさんついているものがあるのかと、クレンジングを施した米澤自身が日々驚いていたと言います。そのうちに、定期的に施術を受けた顧客が「肌が乾燥しなくなった」と言うのを耳にするように。

最初は“へ~、そうなのか、良かったな”ぐらいにしか思っていませんでしたが、あまりに皆がそう言うので、“もしかすると、汚れが取れると肌は乾燥しなくなるのではないか、乾燥の原因は結局単なる汚れなのではないか”と考えるようになります。

乾いているのは、肌に乗った古い角質。

その古い角質を取り除いてあげさえすれば、そもそもの乾燥の原因がなくなる、だからたくさん保湿せずとも乾かなくなるのだと、徐々に分かってきます。


そうこうするうちに、そのアメリカのメイク用品のメーカーは撤退してしまい、
米澤もメイク用品の販売から離れて、好評だった施術に専念するようになりました。


試行錯誤の連続

・・・と言っても、決して道のりは平坦ではありませんでした。今思い出しても申し訳ないと思う、数々の失敗だってありました。

独特のへばりつくような重さのあるクリーム(当時のクリームはかなり固く重たかったのです)は扱いも難しく、効果を追求し、汚れを取れば取るほど、肌がヒリヒリしたり、赤くなったりといったリスクも増します。米澤はなんといっても、元ラガーマン。胸板厚めな体育会系です。

そんな米澤が一生懸命になればなるほど、ついリキが入ったり、やりすぎてしまったり…顧客の肌を赤く腫れさせてしまうような事もありました。そんな顧客の元にも謝りに通い、きちんと良くするところまでどうかマッサージを続けさせてほしいと頼み込みました。

肌が要らない分だけを優しく取り除くと、傷つける心配がないことも分かり、うまくふれると、肌の回復力を引き出し、何もせずただ回復を待つよりも、早く健康な状態に戻れるということも、失敗を経ながら学んだのです。

意図していなかった効果が次々と

そうやって試行錯誤を繰り返しながら、肌のふれ方や、マッサージの仕方、肌を傷つけることなく最大限に効果を上げる加減などを追求していきました。

肌が手放したがっているものを旅立たせてやると、肌が次の要らないものを浮かせてくることも分かってきました。

当時は地域密着型のお店で、顧客の方には、最初に化粧品を2セット購入いただき、1セットは施術用にお店でボトルキープし、もう1セットはご自宅で、ご自身でのケアに使って頂く、というシステムでした。(注:現在はこのようなシステムは行っておりません。)

顧客は、ご近所の方や、近くの会社にお勤めの方がほとんどだったため、日をあけず施術を受ける方が多かったのです。中には連日いらっしゃる方も…。そうやって日々の肌の変化を刻々と手で追う中で、顧客の顔が皆小さく締まっていくことに気づきます。


なんでだろう?という疑問から、どうやら老廃物が顔を膨らませているようだ、老廃物が抜けると本来の形に戻れる、緩んだ肌もちゃんと引き締まる事ができる、という発見につながりました。

アトピー肌やニキビ肌には、かなり手こずりました。なにしろ時間がかかるのです。あきらめて、辞めてしまう方も多かった。けれど、それでもあきらめずに根気よく続けた顧客で、良くならなかった方はいない事は大きな自信になりました。

ニキビ、吹き出物は、溜まっていた老廃物がある程度抜けていくと、次々とできていたニキビや吹き出物の発生が止まる段階に辿り着けることも掴めてきました。

アトピーは、一見表面が硬く乾いているように見えても、
ほぐすと、中にはたくさんのアブラがこもっていたのです。

肌表面をちょっと柔らかく、しなやかに保つだけでもかゆみが和らぎ、肌が切れたり浸出液が出るといったリスクを、ぐっと抑えられることも分かりました。それだけでも生きるのが楽になったと言って頂いた時には、涙したものです。そして、薬の使用歴で、アトピー肌の改善の進みに大きな差が出ることも、実践を経ながら学んだのです。

時代によって生み出されていくメタボ肌


この頃になると、食習慣の変化の影響が世の肌に現れ始めました。

米澤がマッサージを始めた当初は、年齢を重ねると、お顔がこけてシワになるような方が多かったのですが、食生活が豊かになり、脂質や糖分の摂取が増えると、年齢を重ねた時に逆に膨らむ方が増えました。栄養は十分、でも排泄が間に合わない、肌のメタボです。アブラのトラブルに悩む方も、右肩上がりに。

その後も、美容専門雑誌が相次いで創刊される時代にかかると、化粧品大好き、美容大好きな方が増え、高機能化粧品が次々と発売されるようになります。

そうした化粧品の使い過ぎや、過剰なケアにより、肌本来の機能が阻害される、美容によるメタボ肌も生み出されていったのです。

けれど、どんなメタボ肌であっても、滞りの原因をゆるめて抜いて、引き締める、という地道なプロセスの繰り返しにより、本来の肌の働きを取り戻せることも分かりました。

たどりついた一つの確信

こうして、次々と持ち込まれる肌トラブルや症状に必死になって一つ一つ対応していくうちに、最初は意図していなかった、思いもかけない効果が顧客の肌や顔に現れるようになっていきました。

汚れをただ取っているだけにしては、どうにも出来すぎている効果を目の当たりにしながら、ひとつの確信へと至るのです。

入れ替わりだと。これが肌のカギなのだと。
そして健顔は、表面から肌の老廃物を抜くことによって、入れ替わりを助けているのだと。

この確信以降は、

”汚れを取る”ための健顔ではなく、”入れ替わりを、より良く手助けする”ための健顔をひたすらに追求していく事となりました。

個々の肌の進みに合わせて、施術時にパックの調合や、収れん化粧水のpH調整を加えることも、その一環として行うようになりました。

肌にふれ続けてきたからこそ掴めた真実


健顔の考え方は、一般の美容常識と異なる点も多く、戸惑う方も多いかもしれません。

けれど、健顔は、ただ化粧品を販売する化粧品屋ではなく、肌にふれ続けてきた、

いわば肌屋だからこそ、施術で得た肌の反応を考察し、仮説を立てて、それをまた施術で検証し体系づけるという事が可能となりました。

そうして、それに呼応した健顔技術を進化させて来たのです。

一人の方の肌の変化を永年にわたり手で追い続けることができたのも、健顔に惚れ込んで何十年と通い続けて下さった顧客の皆さんのおかげです。これも、治療として”治ったら終わり”の医療ではなく、美容という立場だからこそ、成しえたことでした。

こうして、時には回り道も失敗もしながら、永い時間をかけて、肌というナマの生き物相手の、叩き上げの健顔理論が練り上げられてきたのです。

肌が変わると、顔つきが変わる、顔立ちが変わる
そして・・・ 表情が変わる 

そして、ふと気づけば、50年以上も昔、自らも目を見張ったメイクの効果…立体感を出したり、キュッと締まって見せたり、目をイキイキとさせる…ということを、メイクの力を借りることなく、スキンケアで素顔に現すことが可能になっていました。

そればかりか、老廃物を手放して しなやかで柔軟な肌になれば、お顔が自由自在に動くようになり、メイクではどうする事もできない表情までもが、豊かに変わるのです。笑ったら可愛くなる人、笑ったら怖くなる人・・・その違いは、肌でした。



健顔はただ、外見だけを磨くのではありません。

こうして、あなたの内面の美しさをそのまま素直に外へと映し出せる

しなやかな外見を育てていくのです。


2023年、「健顔研究所」を設立

米澤 房昭は、2022年に米澤式健顔株式会社を退社し、2023年、志を遂げるため、東京・四ツ谷の地に、新たに一般社団法人 健顔研究所をつくりました。

今後は一個人の見解としてではなく、体系づけられた一つの肌理論として残し、発展させたい という思いから、このメソッドの名称を「米澤式健顔」から、シンプルに「健顔」と改め、世の肌のために役立ててまいります。


肌には、人を、生活を、人生を変えるだけのパワーが秘められているから…。
今までも、これからも。

健顔は進化、そして深化を、続けていきます。ご期待ください。

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